サンドラ・デイ・オコナー元最高裁判事が亡くなったというニュースが入ってきました。昨日(アメリカ時間は12月1日)のニューヨークタイムズの記事です。
オコナー判事は、アメリカ合衆国最高裁判所で女性初の判事となった方です。私がアメリカのロースクールで学んでいた頃にも判事を務めていて、既にいくつもの有名な判決に関わっていました。
私は、ロースクールの憲法の授業でオコナー判事のことを初めて知りました。ロースクール卒業後に彼女の自伝を読み、彼女が幼少期にファッション雑誌VOGUEを読んでいたことを知り、なるほどおしゃれな判事だと思ったことがあります。
オコナー判事は、判決の結論を左右する重要な役割を何度も果たしていました。保守派か中間派かリベラル派かといった見方で判事の立場を説明することがありますが、私の勉強不足もあってか、オコナー判事をそうした〇〇派といった一言で説明できません。オコナー判事は、個人の信条を持ちつつ、最高裁判決がアメリカの人々の暮らしに与える影響を考え抜いて判断していたと思います。これがプラグマティズムというものなのかもしれません。
オコナー判事が多数意見を書いた判決に、Grutter v. Bollinger, 539 U.S. 306 (2003)があります。アメリカ合衆国憲法修正第14条に規定されている平等保護条項は、ミシガン大学ロースクールが入学者を決定する際に人種を考慮することを禁止していないとして、いわゆるアファーマティブアクションを合憲とした判決です。
ニューヨークタイムズも引用している有名な箇所がこちらです。
“Effective participation by members of all racial and ethnic groups in the civic life of our nation is essential if the dream of one nation, indivisible, is to be realized.” Id. at 332
「一つの国家、分かちがたい国家という夢を実現するためには」とありますが、その後、アメリカはその夢を実現できたのでしょうか。
この判決は、人種を考慮した入学制度を合憲とし、様々な人種・民族の人々がロースクールで学び社会で活躍することで、その25年後には、平等社会が実現され、人種・民族を考慮した優遇措置が必要なくなっていることを期待していました。いわば時限判決でした。
"[R]ace-conscious admissions policies must be limited in time." Id. at 342
"We expect that 25 years from now, the use of racial preferences will no longer be necessary to further the interest approved today." Id. at 343
2003年の判決から20年経った今年、Grutter判決は変更されることになりました。最近のアメリカ最高裁の保守化で、オコナー判事が最高裁にいたころの判例は次々に変更され、これもその一つのように見えますが、Grutter判決に限っていえば、25年ではなく20年で、アメリカ社会では多様性に対する考え方が進歩した結果ではないかと思います。もちろん、人種的な平等社会が実現されたわけではなく、そうした現実から目を背けてはいけないという趣旨の反対意見を書いた判事もいます。
オコナー判事が書いた本の中に、"Diversity is its strength, just as it is the strength of America itself." として、「多様性が(最高裁の)強みであり、それがアメリカそのものの強さであるように」と、書かれた部分があります。これは、最高裁判事が多様な顔ぶれであることから、最高裁に対して楽観的であることを説明した部分に書かれています。
アメリカが正しいかと言われると悩ましいこともありますが、アメリカに住んでみて、やはりアメリカは強いと思いました。様々な問題を抱えながらも着実に前に進んでいる、国が成長しているという実感がありました。
私がアメリカのロースクールで学んでいた頃には、アメリカの最高裁には、オコナー判事の他に、ギンズバーグ判事という女性の判事もいました。私がもっと若い頃に二人のことを知っていたらと思うときがあります。勿論、社会人になってから渡米したからこそ、二人の偉大さに感銘を受けたのかもしれません。
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